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2017-01-22

ロゾー2(ドミニカ)

ホテルと町を繋ぐ一本道が20分くらい歩かねばならず、しかし毎度タクシーを使ってられないので歩くわけだが面白い光景に出くわすときもある。
その中間点くらいの道脇にちょっとした森ゾーンみたいなのがあって、木にかけたハンモックの周辺に椅子を並べて老人達が煙をくゆらせている場所があるのだが、葉巻タバコにしては嗅ぎ慣れない匂いの煙を毎度排出している。
一度警官が前を通るのを見たが素通りだったので非合法なモノではないのだろう、しかし夕方になるとメンバーが増えて結構な芳香である。

町にはケンタッキー・フライドチキンがあったりするのでたまに食べたり、買い出しにスーパーに行ったりするがこれといって新鮮な事はなく2月のカーニバル後という事もありライブをやってそうな店もない。
あまりにヒマなんで怪しげなCD屋でレゲエバンドにスティールパンが入った変わった編成の自主製作CDを買ったりする、確かにスティールパン発祥の地であるトリニダード・トバゴから数島しか離れていないので自然な音楽的融合なのかもしれない。
しかしいくらカーニバル後とはいえこのダラダラした雰囲気はマルティニークやプエルト・リコの比較にならない。
あまりに書くことがないのでここはウィキペディアの抜き出しをダラダラと載せて手を抜くことにする。

ドミニカ国(ドミニカこく、英語: Commonwealth of Dominica)
旧イギリス植民地であり、現在はイギリス連邦の一員である。自然が豊かなこの島は、カリブ海に存在する多種多様の植物が自生しており、「カリブ海の植物園」と呼ばれている。また、カリブの原住民であるカリブ族(カリナゴ族)の人々が生存している数少ないカリブ諸国のひとつであり、18世紀までヨーロッパの植民地対策に最後まで激しく抵抗したことで知られる。イスパニョーラ島東部に位置するドミニカ共和国と区別するため、ドミニカ国と表記される。
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2016-05-30

サンパウロ3(ブラジル)

さて、ブラジル最後の日はサルバドールから首都のブラジリア経由でサンパウロから出国である。
サルバドール発が正午、ブラジリアで2、3時間待って、サンパウロに夜着いて、夜中にカタールのドーハ行きに乗る、というこの時点でかなりの時間つぶしが予想される日程であるが、幸いサンパウロでは親戚家に置かせてもらっている荷物を取ったり、会食したりとなかなかいい感じに予定がある。

そもそも旅行には携帯など端末を持っていかないので、待ち合わせなどある時には人一倍緊張感が増してしまう、それだけ普段携帯慣れしてしまっているのだろう。
例えば初日、親戚の人に
「空港から電話ください。もし電話に出れなかったらまず空港から出て、エアポートバスの何番に乗って、「パライゾ」と運転手に言えばしかるべき場所に降ろしてくれますから、そこで電話ください。」
と言われバスに乗ったまではいいが、車中で見た地図のパライゾ地区はかなり広い、バス停がひとつとは思えない。。。
運転手はオーケーと言っていたが、皆なぜか途中の交差点とか小さなバス停とかで降りてゆく。
「空港バスなんだからもうちょっと大雑把に止まらないの?これじゃあどこで降りたらいいかわからない、もしかしたらもう過ぎてしまったんでは。。。?」
と緊張感が最大になったところで大きなホテル前で降ろされる、となぜか連絡できなかったのに親戚の人がいた。
「電話繋がらずすいませんでした、でもね旅行者の人は大体ここなんですよ、あと飛行機着があの時間だと大体ここかなと、まあというわけでようこそ。」
とおっしゃっていましたが、やはり国土の多くがジャングルのブラジルに住んでいると野生の勘が研ぎ澄まされるんだろうか?
なんて思ったりするくらいのドンピシャ具合だった、その国に持つ第一印象はこうやって作られてゆくわけである。

というわけで、最後の日なのでイタリア以外で一番イタリア系の多いと言われる町?サンパウロ自慢のイタリア人街に行き、ピザなどを食べながら旅行の話などをする(アメリカのイタリア系の人が作るものに比べるとややチーズが多めだった様な)。
そして空港行きのバスが出ている大きなホテル前で別れる、しかしバスが来るまでまだ2時間はあるのでホテルのラウンジでビールなんかを飲んでみたりするがホントに来るのかが心配で、ホテル玄関で暇そうにしている女性ポーターに通じないポルトガル語での立ち話がてら入念に確認する。
するといきなりどこからか制服を着たインディオ風の見た目の小柄な男性が現れた。
日本語がうまく、名前はゴンサロといい日本にすんでいたことがあるという、日本人が暇してると同僚に聞いて来たそうだ、自分の部署はどうなってるのか知らないが親切な人たちだ。

しばらく彼の日本での生活を聞いたりしてるうちにそろそろバスが来る時間だ
「玄関前まで来るから大丈夫!」
とポーター連中に言われるままに待つ。
あ、来た、あれかな?そして敷地に入らずにそのまま通り過ぎていった。。。
呆然としている自分、そして焦るポーター連中、一人はパニック状態になりそのまま走って追いかけて行ったが。。。
直後に玄関前に来たタクシーに乗せられ、料金を渡されて、まともなサヨナラも言えずドタバタとその場を去ることになった。
とはいえ治安が良くないのに物価が高く、思ったよりかなりハードな国という印象を持った旅でもあったので、この辺の微笑ましいツメの甘さがブラジルの最後の印象として残ったのはむしろよかったように思う。

https://www.youtube.com/watch?v=UzODV59S_Ts

2015-09-15

ホーチミン2(ベトナム)

目的のギターも無事買えた事だし、夜にベトナムのミュージカル「カイルオン」を見に行こうと色々調べてみる。
しかしこの伝統芸能はかなりの生存危機にあるらしく、近場で見れそうな場所がない、もしくは週一とかなので日にちが合わない。。。
それでもムリヤリ探してなんとか郊外のチャイナタウンでそれらしきモノがあるとの情報を掴み、せっかくだから行ってみる。

まず行くまでの渋滞がひどい、かつ持参のガイドブックの地図からも外れて図らずもスリリングになってくる。
万単位の通貨「ドン」の扱いにもなれず、中心地から離れるほどタクシーの運転手にぼられないかも気になってくる。
そんな中、周りが中国語のみになり、とりあえず目的地に到着。
明らかに映画館だが見れればなんでもよい、チケットを購入してやたらと大きな扇風機が数台回っている客席に着く。

確かに右側にはバンド席があり生身のミュージシャンが演奏しているようだ、しかしお目当てのカイルオンギターはいない。
まあ見れただけでもよかったので見る、中国風(?)ミュージカルといえばよいのか。
俳優も歌っている、やはりミュージカルだ、もちろん内容は一切不明。
と一幕終わったのか舞台のカーテンが降り、その前になにやら歌手らしき人が出てきてバンドをバックに歌い始めた。
なんでも合間に誰かがなんかやらないと客が帰ってしまうらしいのだが、この歌手も俳優の一人なんだろうか。
すっかり遅くなり、渋滞の排気ガスにやられたのか、タクシーの折際にやはりドンの計算を間違いそうになった。。。

https://www.youtube.com/watch?v=4uEub6FbtrY

2015-04-09

バンコク2(タイ)

学校はかなり遠く、スクールバスで30分はかかった気がするが、朝っぱらから異様に暑いのに無空調。
窓は雨が降ってきた時しか閉めないような感じのバスだったので、当然排気ガスと埃にまみれながら登校する。
週末はまだ一人で外に出るのが怖いので、家にこもりゲームをしたり、相変わらず窓の景色を眺めたり。
そうこうしているうちにいちおう今でも親友であるK氏と学校で出会い、ローカルバスの乗り方や経路、屋台食堂や日本人の口にあうローカルスナック菓子の銘柄などを一通り教えてもらう。

Kは6歳からタイにいるのだけど、近所に日本人がいない環境も手伝ってか、読み書き以外のタイ語は問題なかったようだ。
家族は完全移住組だったからか少し郊外に住んでいて、10円、25円(クーラーバス)と安いが番号表記のみで行き先が書いてないローカルバスの使い方も一定の範囲内なら熟知していて、よくタイの旅行記に出てくるような
「バスがもしバス停に止まらないで減速だけをした場合にどのタイミングで飛び乗るか、飛び降りるか!?」
といった事を至って涼しい顔して実演し、教えてくれた。
本人は一般の在住日本人と比べてタイ語が話せたり、タイの様々な事情を知っていることをすごくコンプレックスにしていたので、その分できるだけ仰々しさを排除して「いたって普通の事」として理解して欲しかったのではないかと思う。

バスに乗れるようになると行動範囲も一気に広がるので、週末にマクドナルドでハンバーガーを食べて、デパートや市場をフラフラしたり、映画を見に行ったりし始める。
映画館のシステムも当然Kから教わったが、その頃になると後年花開く悪友振りを徐々に発揮してきて
(とはいっても友人親によってはローカルバスの乗り方や屋台の食べ方を自分の子に教えた時点で、既に警戒すべき悪友とみなされたりしていたようだが)、
上映前に流れる国王讃礼ショートフィルムの上映時に起立清聴しないといけなかったのだが、映画マニアのKはいちいち重箱の隅をつつくような映像批評をして笑わせようとしてきたりする。
そうなると当時はタイ国王の偉大さなどまだ知らないので、その全てが大袈裟に見えてきてしまい、こみ上げてくる笑いを抑えるのに苦労したのだが、その対処法(彼によると泣いている振りをすればいいらしい)や、最安の100円券を買い途中でトイレに行ったフリして、戻ってきた時に前の方に座る裏技なども追加情報として教えてくれたりした。

https://www.youtube.com/watch?v=hn2j63jYw9s

2015-04-04

バンコク(タイ)

自分の初海外経験は東南アジアのタイである、空港(当時はドンムアン)を出た時の不可解な熱気と匂いは今でも覚えている。
当時はまだあまりに海外事情みたいなものに疎く、タイがどんなところにあるかも知らないくらいだったので、その異質感にビックリしただけ覚えているのではないかと思う。
他はあまり覚えてないけど、空港に父とその知り合いの人たちが待っていて、自分がなぜそこにいるのかあまり自覚できぬまま引越し先に行き、その後もしばらくは自分がなぜそこにいるのかイマイチぴんと来ない状況が続いたような気がする。

その状態のまま日本人学校に転入して、友人が出来始めてからやっと色々な環境の違いを受け入れていったような。
今思えばほぼ全員が多かれ少なかれ転校を経験していたある意味特殊な環境だったからか、周囲も転入生を受け入れ慣れていたようで、事あるごとに
「来て何年?どこから来た?」
「こっちに来て日本よりいいと思うことってあった?」
「やっぱ帰りたいって思う?」
みたいな子供目線での日本との環境の違いを話したりして、なんとか環境の違いを受け入れようとしていたのだろう。
その答えも
「タイでいい事かあ、果物がおいしいとかかな?」
とかだったけれども、温度や匂いといった基本的な段階から100%違和感しか感じなかった当時の自分にはかなり慰めになったような気がする。

好きだったスポーツ中継も見れず、駄菓子も食べられず、家に帰れば言葉の通じないお手伝いさんに水一杯もらうのに躊躇し、家を一歩出ればエレベーター内で会う外国人の住民に挨拶されるのを怖がり etc...
そうなると、部屋にこもって窓から遠くの景色を見るのが趣味になったり(10階だったので、その分エレベーターも乗れば住民に鉢合わす率が高かった)。
とにかくそんな感じで自身初の海外生活はスタートしたわけです。

https://www.youtube.com/watch?v=GlffJthGwUY
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