2013-03-15

サン・ファン(プエルト・リコ)

カリブ海の第一の行き先はプエルト・リコという島。
アメリカ自治領という事もあるようで東海岸に住んでいるアメリカ人には沖縄のような存在なのだろうか?
空港に着いて荷物が多いのでとりあえずホテルまでタクシーで行く、中南米でのこういうシーンでは大体ぼったくりが当たり前なのだけど、アメリカ自治領だからかそれができないシステムになっていてちょっと感心した。
基本言語は英語ではなくスペイン語、とはいえ首都サン・ファンでは英語もしゃべれる人がかなり多かった。
個人的にはスペイン語を練習したかったのでちょっと残念だったけど、逆に全部英語でできるので派手なトラブルは少なくなりそうである。
とりあえず一番有名な観光地のオールド・サン・ファンと呼ばれる旧市街区で名物料理モフォンゴを食べつつCDを1枚購入。

En mi viejo San Juan/Noel Estrada
私のオールド・サン・ファン/ノエル・エストラーダ

店員さんの紹介だが地元の巨匠シンガーソングライターらしい、表紙でギターを持っていたのでギターを弾いてるのかと思って買ったらなんとピアノ主体でギターなし。。。
独特な雰囲気の歌声で似たような曲調が続く感じは演歌を連想させるが、ボレロというジャンルらしく旅行先のBGMとしては最高だ。
やはり徐々に音楽が気になってくるのでニューヨークで購入したガイドブックで演奏が見れるところを探し始めた、カリブはアメリカ人にとっては近い感覚があるようでアメリカのガイドブックには情報が満載である。
早速「ニューヨリカン・カフェ」という場所でラテン・ジャズやサルサのライブが聴けると書いてあったので行ってみたがライブは週末だけのようだ、あきらめずにもう一軒書いてあった店に行ってみたけどすでに閉店。
その数日後に野外でサルサのライブをやっていたので見ていたら、途中歌手が前述のボレロを歌うと言ったとたんに軽いブーイングが入ったのが印象的だった。
3人の歌手のうちの若そうな歌手が客席まで降りていっておばあさんに歌いかけたりしていて、外国人の自分には面白い演奏だったけど地元の若者はちょっと恥ずかしがって聞いていた。

首都サン・ファンは横に細長く先ほど出てきた旧市街区は左端、そして右端がイズラ・ベルデという非常に有名な海岸。
意味は緑の島という意味なのだけど、島かと思ったらいわゆるリゾート・ビーチだった。
それまで街中に泊まっていたので最後の2日はこちらに移動することにした(空港もこっちのが近いので)。
どんな雰囲気かを描写すると、
1.
まず海の色は青を超えて薄い緑色、自分が小さい頃タイという国に住んでいた時に行ったパタヤ海岸より格段に清潔(ゴミのポイ捨てが少ない)。
2.
観光客とおぼしき大勢の白人中壮年カップルが「それはやりすぎでは。。。」というくらい一日中日光浴していた(肌の焼け具合が彼らの間ではどれだけリゾートしてきたかの度合いなのだろう)。
3.
地元の人たちはとりあえず酒を飲んで騒ぎまくってる砂まみれの若者が多い、彼らはあまり海には入らずに気まぐれにナンパしたりしている。

自分的には普通に歩いてるだけでも日光浴状態なので、浜辺よりは木陰でのんびりしてた。
夕暮れになると人が減るので暇つぶしにギター持ってきて(ホテル玄関まで5メートル)膝まで海に入って弾いてみたりした、写真とかでありそうな光景だが足元が安定しないのであまり長くやるべきではない事なのを知る。
夜は近くにあるアルゼンチン料理屋でParilla/パリージャというメニューに挑戦する。
事前に味付けした牛肉のあらゆる部位をグリルしたものが保温できる皿に載ってでてくるというステーキと焼肉の中間みたいな料理、聞いたところアルゼンチンは牧畜が盛んらしくメインは常にビーフらしい。

その後散歩してるとホテルの前の道が異常な渋滞になっている、見たところバーやクラブなどもない場所なのだが。
そのまま歩いて先頭まで行ってみるとなんと3人の大分太った女性というよりは女の子達が流れ作業のように車一台ずつに洩れなくナンパされていて、ドライバーの男性陣も面白がってわざと渋滞に参加して順番待ちをしているようだ。
こういういかにも映画に出てきそうな南国の島っぽい光景は意外と見れそうで見れないので得した気分になった。
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2013-03-16

フォール・ド・フランス(マルティニーク)

新しい島に場所移動する。
名前はマルティニーク島、近くのグアドループ島と共にフランスの海外県というスタンス。
プエルト・リコがアメリカの沖縄ならば、マルティニークはフランスの沖縄といった感じ?
まずプエルトリコから2時間ほど飛行機に乗って、マルティニークの首都「フォール・ド・フランス」に着いた。
旅行本には「湿気はなく、すごしやすい云々」とか書いてあったのだけど、飛行機を降りたとたん「ムワー」っとかなりの湿気が。。。
とりあえず大学で習ったフランス語を搾り出してなんとかホテルに着く。

早速外を歩いて見ようと思い、街中へいって見たけど誰もいない。。。
雨が降っていたということもあるけれど、まるでゴースト・タウン(そして迫り来る空腹感)。
店が全部やってなくて、なんとか見つけたマクドナルドに入ると結構人がいる、考えて見ればヨーロッパの国は日曜は職種問わずに休みなんだっけ?
ここで又してもにわかフランス語を絞りに絞って、なんとかセットをオーダーしたのだけどその値段にびっくり!何と日本円で1000円以上、しかも
「ケチャップ、シルブプレ(ケチャップください)」
が伝わらず、何度も言わされたのは恥ずかしかった。。。

スタートダッシュは悪かったが、とにかくカリブにあって仏領、風習はカリブとアフリカとフランスのミックス、それで現地の食文化も面白くないわけがない!ということで翌日お昼は早速現地料理を食べに行った。
仏領カリブの島々は様々な食文化をミックスした食事のおいしさで知られているのだけど、総じてクレオール料理と呼ばれているようだ(ちなみに元仏領のニューオーリンズもクレオール文化で有名)。
看板に定食メニューが書いてある店があったのでまずは無難に現地のビールを注文(ロレインとか言う名前)、各メニューの説明を普通なら5分で済むところを語学的な問題の発生により20分かけて説明してもらい「ハイチ風定食」に決める。
内容は煮込み料理、甘くないバナナ、豆ご飯とサラダといった感じで、量も味も満足だった。

楽しかったマルティニークだけど、やはり夕方6時以降に店がほとんど閉まってしまう(最初の日だけでなく毎日その感じだった)ののに耐えられず、とりあえず隣の「ドミニカ」という島国にいく事にした。
高速船で2時間のドミニカはマルティニーク島と仏領のグアドループ島との間にある独立した国で、野球で有名なドミニカ共和国とは別国。
今思って見ればマルティニークは本当に不思議な島で、レストランはお昼が終わったらほとんど閉まってしまうので外で食べられる夕飯はクレープやらピザやらファーストフードしかなかった。
市民劇場みたいなのがあって現代カリビアンバレエ(?)らしきものを見た、しかし「マラヴォア」というすごくユニークな音楽を演奏するグループを現地で見ることができなかったのはかなり残念だった、翌月にはその劇場で公演があるようだが。。。
路上で大規模なパーカッショングループが聴きごたえのある演奏をしていた、そして公園でみた手動メリーゴーランドとアコーディンオン弾き語りBGMの組み合わせもなかなか面白かった。

2013-05-21

プエルト・バジャルタ(メキシコ)

プエルト・バジャルタはメキシコの最西部の太平洋に面した町。
17才の時に初めてギターを習った人からメキシコに住んでいた時の話をたまに聞いてはいたけれど、その時は国の場所も分からず(タコスの存在すら知らなかった)なんとなく暑いとこなのかな?くらいのイメージしかなかったのを思い出す。
それがメキシコを訪れた第一のきっかけなら、第二のきっかけは米国留学中に取ったスペイン語の授業。
音楽大学という名のとおり昼夜問わずに音楽に取り組みつづける環境の中で、あまった単位で気分転換にというのがその理由だったのだけど、もともと語学は好きな方だったのでつい二学期続けてとってしまったのも大きな理由。

にしても始めて着いた時は正直怖かった、言葉もどこまで通じるか?だったし。
そしてタクシーに乗るときにその瞬間が来ました、教科書的スペイン語で
「こんにちは、ロシータ・ホテルに行きたいのですが?」
と質問し聞き取りの為に耳を澄ましていると、なんと流暢な英語で返されてしまい思いっきり拍子抜けした。
今考えて見ればカリフォルニアからも日帰りで旅行客が来るくらいの観光地だったので、観光業者はほとんどが流暢な英語を喋っていた。

とはいえあまりにリゾートし過ぎている環境は刺激がなく、数日で次の目的地へ行くことにした。
とにかく国が大きいので飛行機で目的地近くのレオン空港へ行き、荷物もかなりあるので定額タクシーを使うことにしたのだが、このドライバーがやたらとよく喋る人(スペイン語のみ)で2時間ほど喋り倒してくれたおかげで聞き取りに妙な自信が付いてタクシーを使ってしまった自己嫌悪が大分和らいだ気がする(バスにしたところで隣客に喋り倒されていた可能性は高いのだが)。

2013-05-21

サンミゲール・デ・アジェンデ(メキシコ)

プエルト・バジャルタに行った理由は、ギターの先生が昔一緒に演奏していたというギタリストLoboが住んでいるからだったのだけど、なんと運悪くその時期はカリフォルニアへツアーに出ていて会えなかった。。。
なので早々に切り上げて、第二の目的地サン・ミゲール・デ・アジェンデに向かう。
この町は海際のプエルト・バジャルタとは打って変わって大陸の中央部で高度2000メートル位の場所にある町で、なにをするにも息が上がってしまったのを覚えいる、最寄の空港からどうにかして来るしかない陸の孤島。
それもあったから着いた時はさすがに感動した、なにせ話でしか聞いた事がなく、インターネットみたいに手ごろな資料もなかったのでどんな町かを想像する事すら難しかったのだから。

急勾配の石畳やカラフルなペイントの住居などは本当に印象深かった。
夜には早速先生とそのギタリストがよく演奏していたというMama Miaというレストランに行ってみた。
さすがに有名な観光地だけあって(ある種の僻地感が人気の理由)店も生演奏も存続していて、いい感じのラテン・ジャズが流れていた。
演奏後、スペイン語の練習も兼ねてピアニストに早速話しかけて見ると、他のメンバーも紹介してくれて
「ギター弾くのか?じゃあ明日は他のメンバーとやるから、彼らも紹介してあげるよ」
と言ってくれた。
それで特にやる事もないから翌日も行くことにした。

さて翌日行ってみると、早速また同じピアニストが別のベース、パーカッションをバックに演奏中。
ちなみにこの彼、この小さな田舎村に似合わずめちゃくちゃうまくて謎な感じだったけど、なんと有名なトランペッターのロイ・ハーグローブの組んでいるラテンバンドのピアニストだという。
音楽教育の発達しているキューバ出身のプレイヤーは世界各地で重宝されているようだ、サッカーでいうブラジル人みたい。
で演奏を聞きつつ周りを見渡してみると奥に6人くらいの集団がいる、暇なんでちら見してるとどうもメキシコ人だけではなさそう。
面白がってさらによく見るとなんだか見た事のある顔がいる、正確に言うなら会った事があるのではなく写真とかで見た事があるような。
「うーん、なんかロボ(スペイン語で狼の意味)に似てるなあ、でもツアー中なはずだしサン・ミゲールにはもう住んでないはずなんだがなあ・・・」
気になりつつトイレ行ったときに再見したのだけど、確証が。。。
と用を足してトイレから出るときに、演奏後のピアノマンが入ってきたから
「今日も演奏良かったよ」
「ありがとう、今度はギターもってこいよ。ところで友人を紹介するからまだ帰るなよ、あの奥の集団なんだ」
「オーケー。ところでさ、あの中の一人の顔を見たことある気がするんだけど、あれってセニョール・ロボ?」
「なんでおまえ知ってんだ?知り合いか?」
「え、ロボなの?今回の旅行で会いたかった人なんだ!」
「そりゃすごいな!よし、用足すからちょっと待て、すぐ紹介してやるよ!」

といった展開でなんとロボとばったり遭遇しました、奇跡的ミーティング?
で長らくおしゃべりした後にそのレストランの何十周年かのパーティーに誘ってくれて
「ここにしばらくいるならその日に来るミュージシャン連中を紹介するよ!町の主要なミュージシャンがほとんどがくるからさ、キミの先生にもよろしく!」
とのこと。
「オーケー、じゃあその日にまた。ギターの先生にはメールで伝えとく!」
と思わぬ展開にわくわくしながらその日は床に就きました、事実は小説ほどでもないけどかなり奇なり。

2014-03-21

ロゾー(ドミニカ)

カリブ海の地図の右側に小さな島がたくさんあるけれど、これらを西インド諸島という。
コロンブスがインドに着いたと勘違いしてこんな名前を付けてしまったらしいが当時の地理感が垣間見れて面白い。
ドミニカの公用語はクレオールという現地語と英語、まずはフランスその後はイギリスの植民地だったようだ。
さて雰囲気だけどこれがびっくり、なんと町中レゲエをBGMにドレッド・ヘアーの人々歩いていてジャマイカかと思わず錯覚を起こす。
飲食店に行けばジャマイカ産のジンジャー・ワインが出るし、代表的なジャマイカ料理ジャーク・チキンもどこでも食べられる。
おそらくジャマイカ(元イギリス領)という国は英領カリブ諸島では最初の独立国ということもあり、まだ領圏内の島々にとってはちょっと憧れに近い立場なのかもしれない。

とりあえずここはスペイン語が公用語のドミニカ共和国ではなく英領ドミニカである。
場所はマルティニークから高速フェリーで2時間なのだけど、そのフェリーがきつかった。
たしかに島間の距離がかなりあったのでかなり速い船だとは思っていたけどこれが異常に早い、もちろんスピードに比例した揺れで一気に船酔いになる。
おかげで着いた時は瀕死状態なので、つい一番初めに話しかけてきたタクシーの運転手の車に値段交渉をする前に乗ってしまう。
もちろん途中で発した値段はぼったくり価格、しかし狙ったホテルが閉鎖していて他を探すうちにだんだん打ち解けて来た運転手。
色々話しているうちに今度は向こうが追加運賃の交渉をすっかり忘れてしまったらしく(メーターは当然ない)、その辺がカリブ人の脇の甘さというか人の良さを感じさせる。
結局手ごろなホテルが見つかった時には当初提示されたぼったくり価格以上の距離を走っていて、心なしか彼は少し不満そうだったような気もするが町で会うと毎度クラクションで挨拶してくれる好人物であった。

ホテルと町を繋ぐ一本道が20分くらい歩かねばならず、しかし毎度タクシーを使ってられないので歩くわけだが面白い光景に出くわすときもある。
その中間点くらいの道脇にちょっとした森ゾーンみたいなのがあって、木にかけたハンモックの周辺に椅子を並べて老人達が煙をくゆらせている場所があるのだが、葉巻タバコにしては嗅ぎ慣れない匂いの煙を毎度排出している。
一度警官が前を通るのを見たが素通りだったので非合法なモノではないのだろう、しかし夕方になるとメンバーが増えて結構な匂いを撒き散らしている。
町にはケンタッキー・フライドチキンがあったりするのでたまに食べたり、買い出しにスーパーに行ったりするがこれといって新鮮な事はなく2月のカーニバル後という事もありライブをやってそうな店もない。
あまりにヒマなんで怪しげなCD屋でレゲエバンドにスティールパンが入った変わった編成の自主製作CDを買ったりする、確かにスティールパン発祥の地であるトリニダード・トバゴから数島しか離れていないので自然な音楽的融合なのかもしれない。
しかしいくらカーニバル後とはいえこのダラダラした雰囲気はマルティニークやプエルト・リコの比較にならない。